取組の概要
大山は、山岳霊場として平安以来の歴史を持ち、江戸時代の大山詣の最盛期には大山町(伊勢原市)に約150軒、蓑毛(秦野市)に17軒の御師(先導師)の宿坊が存在した。他地域の御師の多くが既に廃業する中、大山町では現在も48軒が存続し、御師住宅や石垣・玉垣、禊の滝など信仰集落として独特の景観を継承する。その特徴を学術的な調査により把握し、価値を顕在化することで、新たな観光資源になり得ると考える。 本研究は、大山御師集落の文化的景観の特徴を、①信仰の中心である大山寺の江戸期伽藍の復原、②御師集落の歴史的建造物・景観の調査、③大山詣を支える習俗の継承状況の調査により、人的・物的両面から明らかにする。
取組の成果
①大山寺の江戸期本堂の復原
大山寺は、元は大山中腹の現・阿夫利神社下社社地に位置し、寛永18年(1641) に徳川家光により本堂が建立されたが、明治初年に神仏分離で山内から退去、明治18年(1885)に旧地の下方に現本堂が再建された。この大山詣最盛期の寛永度本堂を、大山寺大工・手中家蔵の図面・仕様書の検討、および現地調査を基に復原し(図1)、間口7間(約31m)の壮大な堂で土朱塗など独特の仕様を採ること、山岳神を拝む神社拝殿的空間を内包したこと、現在の下社社殿は旧本堂の棟位置を踏襲して建てられたこと、遺構として礎石13個や石垣が現存することを明らかにした
先導師旅館組合のご協力により、大山町の全御師住宅に対してアンケートを実施し、16軒から回答を得た。他の知見と合わせると、江戸期3棟、関東大震災以前8棟、震災後15棟の歴史的建造物が確認できる(表1)。 この大山町の歴史的景観について、本年度後期の大学院授業の課題として取組み、その特徴を実地調査により把握すると共に、地籍図により道路拡幅前の町並みの状況を復原し、景観保全・修景に対する提案を行った。
一方、蓑毛については、主に県西部や静岡方面からの門前町に当たる。関東大震災時の山津波により町を移転しているため歴史的資産は少ないが、大磯町〜大山の大山道のルートを地元みのげ文化の会会員と共に把握・検証し、新たな散策ルートしての整備に活かす。
③大山灯籠行事の継承状況の調査
大山灯籠行事は、講が大山詣を行う夏山期間(7/26〜8/16)に、夜道の道標や信仰表現として沿道に灯籠を仮設し、毎晩灯明するもので、県央地区対象のヒアリング・実地調査により大山街道沿いの25地区で継承を確認した。廃絶理由として旧住民の減少や高齢化が挙がる一方、自治会で灯籠の組立や灯明の管理を継承する例も多く、特に平塚市上吉沢地区・寒川町田端地区等では、新住民への積極的な勧誘と大山灯籠に関する展示等の広報により地区全体での取組みが行われており、継承へのモデルとして評価できる。